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次に向かったのは、『日和山』『しばり地蔵』『十二支方位石』。しかし、ここでミスをしてしまった。先を急ぐあまりに、通過してしまったのである。
戻ることを諦め、『砲台場跡』へ。寒風沢水道を通る船を見張る砲台があった場所。
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【砲台場跡】 案内板には次のように記載されている。
“慶應3年(1867年)、仙台藩では寒風沢港を海防上最も重要な地点として、寒風沢、石浜水道がよく俯瞰できるこの地に砲台を築造した。「加農砲」三門を据え、弾薬庫、見張所を備え、また沖砲台として船入島には鉄の巨大砲二門を置き、別に石浜崎黒森に一門を据え、藩より大砲方士卒五十人余りが、寺院松林庵に駐屯して警備にあたった。”
脇には、船入島弁財天大神社、船入島龍神大権現社という小さなお社(祠)が二つ。
こちらは海水浴場。海岸線の黒松並木がとても美しい。砂浜では、家族連れが釣りとバーベキューを楽しんでいた。それを横目で見ながら、港の雑貨屋さんで買った菓子パンをかじりながら、こちらは一人黙々と歩く。
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海水浴場のところにあった昭和35年5月24日未明に三陸沿岸を襲ったチリ地震津波の被災の地の碑(寒風沢の農漁協・同区有志が、その被害状況を後世に伝えるため建立:昭和51年7月)。
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【チリ地震津波被災の地碑文】
昭和35年5月24日黎明を破って来襲した津波は寒風沢沖に面する前浜・韮浜・要ノ浜・元屋敷の各堤防を決壊し怒濤と化して揚陸せり。水田17.919 ヘクタール、畠地4,506ヘクタールが埋没冠水し、倒壊家屋1戸、浸水家屋二十数戸和船十数隻大破し、電話、電灯の送電架線柱の倒壊、断線により寒風沢 を始め浦戸全島は孤立化せり、島民は只茫然自失あるのみ。漁業協同組合の発議により、区長、消防団長と相諮り津波復旧対策本部を結成、塩竈市浦戸東部漁業 協同組合内にこれを設置し、被害の調査、確認、飲料水の確保、井戸の衛生消毒、通信連絡等、塩竈市役所津波対策本部との緊密なる連携を保つこと久し。これ よりさき決壊堤防の復旧作業にとりかかれり。耕地の荒蕪塩害を怖れる地元住民はもとより、隣接桂島、石浜、野々島、吉津浦地区等より消防団員、一般人を含 む多数の応援と、陸上自衛隊松島航空基地よりヘリコプターが飛来し被災状況の連絡にあたれリ。
一方塩釜海上保安部内火艇、地元動力漁船により堤防復旧用米俵13,000余俵を塩竈市役所水産農商課の指揮で搬入宮城県仙台土地改良事務所の技術指導 に依り元屋敷堤防の応急築堤工事を完了せり。この挙に臨み、本県三浦義男知事は浦戸諸島を海岸保全法の指定地域となせり。
昭和39年7月、桃和田、元屋敷、大迎、平戸、前浜及貝ノ浜囲い、23ヘクタールを土地改良工区に定め、塩竈市浦戸東部農業協同組合営により土地改良事 業が着工され、昭和40年3月完成せり、ために営農改善への端緒となりぬ。まことに災を転じて福となす喩えの如し。ここに寒風沢高潮対策堤防第一次工事の 完工を記念し、チリ地震津波来襲16周年を省みて島民の復旧への情熱とこれをうけて国政に結んだ故衆議院議員愛知揆一先生の霊に捧げ人々への警鐘となす。
昭和51年5月25日
出典:塩竈市ホームページ
【神明社】
ここは、神明社(平成9年修築、建造様式:一間社流造り・向かい拝一間、銅板葺)。祭神は、天照皇大御神、豊受皇大神。真新しい鐘堂もある。鐘そのものは、盗難にあったことから弘化2年(1845年)に再調されたものという。木の根元に配置されている祠(ほこら)には、なんともいえない趣がある。
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荒崎公園と古ゲタのお化け民話の地とされる『要の浜』は、今回は諦めた。
『元屋敷浜』は、ここ。途中の湿原には、野鳥の群れ。足元の水路には沢山の稚魚。時折、かなりの大きさの魚が猛スピードで泳ぎまわる。“ガマノホ”が光に映えて、これまた美しい。 この浜は、潮干狩りができるらしい。とても穏やかで眺望も良い浜である。
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この浜から『六地蔵』までは、少し長い距離を歩くことになる。
これが『六地蔵』。道が二手に分かれるところにある。“あの世”と“この世”ということではないのだろうが・・・。六地蔵とは、地獄、餓飢、畜生、修羅、人間、天上という六道輪廻の中の衆生(しゅしょう)教化・済度(さいど)の菩薩ということか。すぐ右手の丘の上には、小さなお社がある。
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これで一周達成。港に戻る。
しかし、塩竈港に戻る船が無い。午後4時40分まではこの島にいるほかは無い。仕方が無いので、釣り人を眺めながら岸壁で時間をつぶす。
とはいえ、諦めきれず、もう十二分に疲れた足をさすりながら、見残した場所に行くことにした。
こちらは、『不動明王』。狭い通りを抜けた民家に裏山にある。参道はやや荒れていたが、お堂というよりは集会所のような建物、「真言宗松洞山寒山寺」とあり、寛永年間(1600年代)にできたお寺とされている。大きな木の根元にある石碑、竹林を背にした墓石が、興味深い。
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ここでいよいよ、日和山』『しばり地蔵』『十二支方位石』へ。港から200m程度の距離とはいえ上り坂。けっこうキツイ。
これが『しばり地蔵』。
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寒風沢港が繁栄していた頃、島内には遊郭があって、船出しようとする男たちを引きとめようと、遊女たちがお地蔵様を荒縄で縛り逆風祈願したと伝わっている。
これが『十二支方位石』。直径45cm高さ82.5cm。港の待合所わきには複製されたものが展示されている。
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あとは、港で帰りの船の到着を待つのみ。浦戸の夕暮れは、心に沁みる。
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船が来た。午後4時38分乗船。塩竈港着5時22分。すっかり夕闇の時刻。ここから我が家まで、車を運転して約1時間。
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疲れた!! でも、行って良かった。今度は、無理をしないコースにしよう。島の民宿に泊まり、海の幸を存分に味わうのもいい。
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