貞山運河事典

東名・北上運河とともに阿武隈川・北上川を結ぶその全容を紹介します

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川村孫兵衛重吉  かわむらまごべえしげよし
   
  こちらでは、次の項目を紹介しています。
    ① 川村孫兵衛重吉之像
    ② 住吉神社と縄張神社
    ③ 重吉神社
    ④ 川村孫兵衛翁の墓所
 
  川村孫兵衛が改修等に関わった北上川の変遷については、こちら をご覧ください。
 
① 川村孫兵衛重吉之像 
 

銅像台座には、次の内容の銘板がはめ込まれている。

 

 

川村孫兵衛重吉

 天正三年(一五七五)長州(山口県)に生まれる。毛利家に仕え、

二十代前半、伊達政宗の家臣となる。
 治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任者

となる。工事は元和二年(一六一六年)から寛永三年(一六二六年)に至り、

工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊まり込むなど、

筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
 この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後

寒村に過ぎなかった石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、

盛岡、一関、八戸各藩の米蔵が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が

往来繁栄を極めた。治水に伴って流域では三十三万石余の新

田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。

 工事完成後は石巻に住み、慶安元年(一六四八年)、七十四歳で世を去る。

 河北新報社は石巻市制施行五十周年に当たり、港町石巻の基礎

を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるため ここに川村孫兵衛

重吉の銅像を建立、石巻市民に寄贈する。

          昭和五十八年(一九八三年)八月一日

                                        河北新報社
                                  銅像題字 一 夫 

                河北新報社社主・会長
                                  銅像制作 翁 観

 

 

  ●場所   石巻市日和山公園           

         宮城県石巻市日和が丘2丁目1
 
 
     (北上川:日和山公園からの眺望)                 (鹿島御児神社:日和山公園内)
 

② 住吉神社・縄張神社   → こちら

③ 重吉神社          → こちら

④ 川村孫兵衛翁の墓所   →  こちら